Thinking Tumblring

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 【第2296回】 他人のせいにしても
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 何でもすぐ他人のせいにする人がいます。


 「あの人があんな失敗したから、自分もうまくいかなかった」

 「上司がちゃんと教えてくれないから、ちゃんとできなかった」

 などなど、すぐに他人のせいにします。


 それを指摘しても、
 「だって、本当にその人のせいなんだもん」と聞きません。

 「他人のせい」というのは、ある特徴があります。


 それは、「後出しじゃんけん」であるということです。

 ほぼ全て、事後に言い出すことになります。


 何か問題が起きた時に、
 「あの人が何もしないからだ」
 「その人があんなことやったからだ」
 と、問題が起きた後に言います。


 何も成果が無かったり向上が無かったりした時に、
 「あの人があんなことするからだ」
 「この人が何もしないからだ」
 などと、成果が表れないということが分かった後に言います。

 全て「後出しじゃんけん」と同じ、事後の発言です。


 事後の発言であるということは、
 「じゃあどうして、事前に何か対策を練らないの?」
 という責任が生じます。


 例えば、「上司が何も言わなかったので、こんな問題が起きた」
 と上司のせいにしたとします。

 しかし、そんなことを事後にねちねち言うのであれば、
 どうして、そんな問題が起こる前に、

 「このまま何も言わないと、
  こんな問題が起きるのではないでしょうか?」

 と上司に伝えておかなかったのでしょう?


 「そんなの、事前に分かるわけないじゃん」
 と反論をするでしょうが、
 それだったら上司だって事前に分からなくてもおかしくありません。

 要するに、事後になって他人のせいにする人というのは、
 事前にそれを阻止できなかった、事前にそれを回避できなかった、
 という自分の責任もあることが分かっていないのです。


 「あの人が道具を独り占めしているので、
  この仕事ができなかった」

 などと後で言うのであれば、なぜ事前に

 「すみません、道具を独り占めされたら、
  この仕事ができなくなってしまいます」

 と言わなかったのか。


 「いや、言ったんですけど彼は聞いてくれなかった」

 などと後で言うのであれば、なぜ事前に
 「彼が聞いてくれないんですが」と上司に相談しなかったか。


 他人のせいにしてしまうことは全て、
 自分の事前の配慮の足りなさや認識の甘さという
 原因の一端を含んでいるのです。

 だから、何でもかんでも人のせいにするのはよくないのです。

 「だったらおまえも最初から言えや」ということになるからです。


 他人のせいにするよりも、
 「どうして自分はそのことを察知できなかったのだろう」
 と自分の行動力を反省したほうがいいと思います。

 何でも他人のせいにすると、
 周囲の人たちもなんでもあなたのせいにします。

 「おまえだって、何もしていないだろう?」

 という反論が来て、水掛け論になっていきます。


 それだったら、

 「しまった。俺もこうしておけばよかった」
 「私も事前にこうしておけばよかったです」
 「じゃあ次から、こうしようぜ」

 と、自分の非を認めて次には同じ失敗をしないように
 工夫を考えて確認しあうほうが、よっぽど生産的です。


 「他人のせいにしない」ための工夫には、
 どのようなことがありますか?

発想源

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 【第2310回】 何が何でも
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 有名な話かもしれませんが、
 ヨーロッパの医学者が、こんな実験をしたそうです。


 その医学者は約100名のガン患者にヒヤリングを行ない、
 「これから、どうなるんでしょうか」と尋ねてみました。

 すると、
 「絶対に治したいです」「絶対治してみせます」と答えた患者と、
 「もうダメでしょう」「もうダメです」と答えた患者、
 つまり前向きな人と悲観的な人が、
 だいたい半数ずつだったそうです。


 そして、そのがん患者たちを5年間調査し続けました。

 すると、5年後には、
 「もうダメです」と悲観的に答えていた患者たちのうち、
 80パーセントは亡くなっていました。

 対して「絶対治してみせます」と前向きに答えていた患者たちは、
 80パーセント以上が生存していたといいます。


 その原因は、もちろん心の持ちようではあるのですが、
 実際に5年間の調査をした結果、
 前向きに考えていた人たちは、何が何でも治そうと、
 良いと言われるものをどんどん試していました。

 こんな食事をすべきだと知ったらその食事に変えてみる。
 精神の修養が大事だと言われたら座禅などをやってみる。

 とにかく、藁にもすがる思いで、
 いろいろなことを試していくのです。


 しかし、「もうダメです」と悲観的に答えていた患者たちは、
 その時点で諦めているので、
 そういう行動を一切取っていなかったんですね。
 
 それで生存率は20パーセント以下なのですから、
 ほとんどの人は、何もせずに死を待ったということになります。


 「病は気から」と言いますが、
 気の持ち方が、命にまで関わることが分かります。

 「何が何でも」という人は、行動に移します。

 だから、自分から成功や生存に近づいていくのです。


 もし自分から行動をしなくても、
 「何が何でも治りたい」という人に対しては、
 周囲から「じゃあこんな方法があるよ」という情報を受けたり、
 「一緒に頑張ろう」と励ましを受けたりします。

 つまり、周囲も行動をしてくれるのです。

 だから、総合的に見て良い方向に向かいます。

 「勝とうと思えば勝てる」
 「負けと思った時点で負け」

 なんていうことを勝負の世界ではよく言いますが、
 これも気の持ち方のことをよく表しています。


 局地戦で負けを続けていても、
 「いずれ勝つんだ」と諦めなかった者には、
 必ず勝利が訪れる時がやって来ます。

 勝利に向けて行動をするからです。

 そしてその行動を援助したり応援したりと、
 周囲の人たちにも行動をしてくれる人が現れるからです。


 でも「もう負けた。負け負け」と諦めてしまった者は、
 そこで行動が止まります。
 だから負けたままで終わってしまうのです。

 そして周囲の人たちも「あなたがもう終わりと言うならば」と、
 何の行動もしなくなります。

 だから、そのまま永久に負けたままです。

 「何が何でも、勝ってみせる」

 「何が何でも、やり遂げてみせる」

 「何が何でも、成功してみせる」

 という気概にこそ、やがて結果が訪れます。

 その気概を持てない者は、そこから前進がありません。

 まずは「何が何でも」という気概を持つことから
 始めたいものです。

発想源

経営者という仕事は、成功と失敗の連続です。

 いや、むしろ失敗の連続ばかりというほうが多いかもしれません。

 誰が見ても成功しているような方であっても、
 話を伺うと大抵は失敗の連続であり、
 その積み重ねの上で最終的に成功をしているから
 成功者に見えるのであって、「ようやく一勝という感じですよ」
 という謙虚な答えをされる方も多くいらっしゃいます。


 失敗にはいろいろな理由があります。

 もちろん、他社の倒産であったり風評被害であったり、
 自分の力ではどうしようもないところからの影響による失敗、
 というのもたくさんあります。

 しかし、明らかに自分自身に失敗の原因がある場合は、
 多くの方が、

 「見栄による失敗」

 を挙げられます。


 あの時、見栄を張ってしまったために失敗してしまった、
 という自戒をされる方がおおくいらっしゃるのです。

 見栄というのは、「見栄を張る」という言い方をしますが、
 要するに「実際以上によく見せようとすること」です。


 つまり、ビジネスの現場でいうと、
 実際はできないのにできるように誇示してしまったり、
 実際は大したことがないのに大物のふりをしたりすることです。

 ビジネスの場ではついつい、
 見栄を張ってしまう場面が出てきます。

 「ここでナメられたら買い叩かれるのではないか」とか、
 「三流に見られるのは何となくイヤだな」などと考えて、
 つい大口を叩いたり、外見や言葉を飾ったりしてしまいがちです。


 「これは見栄だな」と自分で分かっているうちはまだいいのです。

 最悪なのは、見栄を張っている自覚がない時です。

 無意識に見栄を張ることで、
 自分が大きくなっている錯覚に陥ってしまいます。

 そして、見栄により膨らんだ虚構のイメージの中の自分と
 現実の自分とのギャップが大きく歪みを生じ、
 大きな失敗を生み出してしまうことになります。


 「そろそろ、ベンツの社用車を持ってもいいんじゃないか」

 「社長室をもっと広くして高級な家具を入れよう」

 などと言い始めた矢先に失敗をする例が多く、
 後になって「それどころじゃなかったな…」と
 冷静に自分の見栄を戒める社長が多いのです。

 見栄ともとれる考えや行動に至った時ほど、注意です。

 起業コンサルタントみたいな肩書の人間が書いている
 起業者向けのノウハウ本などを見ると、
 よく「見栄の張り方」のようなことが書かれているのを見ます。

 例えば、電話番号とFAX番号が連続した番号だと
 小さな会社だと思われるので、不連続の番号を取るように、
 みたいなことが書かれているんですね。

 こういうのが、小さな見栄です。

 お客様がかけやすいようにこういう番号にしましょうとか、
 取引先も分かりやすいような番号を取りましょう、
 とかいう話なら納得がいくのです。

 でも「小さな会社だと思われるから」というのは見栄です。

 小さな会社が「小さな会社です」と言えないのは、見栄です。

 それが必ずしも悪いとは言いませんが、
 「そうしなさい」などと教えている人は程度が小粒なので、
 そういう人の話はあまり真剣に聞かないほうが無難なのです。

 起業したての頃からそんな見栄の張り方を覚えてしまうと、
 必ずどこかで現実の自分とのギャップが破裂してしまい、
 大きな失敗でつまづくことになります。

 見栄はなかなか、自分では気が付きにくいもの。

 それが故に、多くの方が見栄による失敗を繰り返すのです。

 どういうことが「見栄」と呼べるものなのか。
 それをきちんと把握しておいて、
 自分の行動をきちんと制御していくことをお勧めします。

発想源 【第2334回】 見栄と失敗

 【第2288回】 苦手なモノを避けると
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 漫才などの芸事の世界、囲碁や将棋などの勝負師の世界では、
 一昔前までは師匠の下に弟子入りをするのが一般的でした。

 そんな師弟制度の中では、
 弟子には嫌いな食べ物ばかりを食べさせる、
 というやり方もよくあったと言います。


 どうして嫌いなものばかり食べさせるのかというと、
 「嫌いだから食べない」という「苦手を避ける」ことを
 やめさせるためなのだそうです。


 「今日のお客さんは苦手な層だから、困ったな」とか、
 「今日の対戦相手は苦手なタイプだから、嫌だな」とか、
 苦手な相手を見て萎縮してしまい実力が発揮できない、
 ということが芸事や勝負の世界にはよくあります。

 そんなことがないように、
 「苦手なものでも、普通どおりに対応できる」
 という意識を養うために、
 苦手な食べ物をひたすら食べさせるんだそうです。

 苦手なものが「そうでもないな」と思えるようになれば、
 苦手な相手にも萎縮しなくなる、ということなんですね。

 苦手なものを避けてしまうと、
 それだけ機会の損失が出てきます。


 例えば、ある尊敬する方から、

 「よく行ってる素晴らしい寿司店がある。一緒に行かないかい?」 

 と誘われたとします。


 でも「あ、私は生魚はダメなんで」ということになると、
 「そっか…じゃあ別の店にしようか」となります。

 その方はもちろん
 その店の味の良さを知ってもらいたかったのでしょうが、
 味だけではなく、その店の一流のサービスや、
 食器や花を選ぶセンスの良さなどを見せたかったのかもしれません。

 サービスやセンスを学ぶことについては、
 その人がその食べ物が苦手かどうかは全く関係のないことです。

 でも、その人の単なる好き嫌いのせいで、
 その学ぶ機会を失ってしまいます。

 ホラー作品の第一人者のようなクリエイターの方に会った時、
 「あ、私はホラーは苦手で観ないんです」という相手だと分かったら、
 その方はきっと、それ以上はクリエイティブな話を
 全く話さなくなるでしょう。

 確かに作品の内容については苦手かもしれませんが、
 その撮影の手法やキャスティングの方法など、
 一般のビジネスマンにも勉強にある部分が多々あるわけで、
 それらを聞ける機会も全部無くなります。

 苦手なモノがあることがいけない、
 と言っているわけではありません。

 苦手なモノを避ける、という意識によって
 いろいろな機会を失ってしまう、という話です。

 苦手なモノはあってもいいけれど、
 「苦手なモノだから自分には関係ない」
 という姿勢であってはもったいない、ということです。

 私は、実は納豆が苦手です。

 でも、普通に買って普通に食べています。

 スーパーでは納豆がどのように売られていて、
 納豆会社はどのような納豆の新商品開発をしていて、
 納豆にはどのようなデザインが施されているのか、
 などを知ることができるからです。

 納豆だけではなく、どんな食材もまんべんなく買っているし、
 料理を作る時も特に偏ってはいません。

 「これは苦手だから、絶対に買わないし絶対に食べない」

 ということをやっていない、ということです。

 それだけ、自分にとって発見のジャンルが抜け落ちてしまうのが
 もったいないと思っているのです。

 苦手だから避けている、というものはありませんか?

 それを避けることで、
 それに関連する全ての発想源が手に入らなくなります。

 視野が狭まってしまうということです。


 「苦手なモノなんだから、別にそれでもいいんだ」
 と反論する人が多数だと思いますが、
 苦手なモノだと思っていることの中にこそ、
 今まで知らなかった発想源が隠れているものです。

 「今までの自分では知ることができなかった」
 「今までの自分だったら得ることはできなかった」

 という新しい発見を得るためには、
 苦手で避けていたものに向き合ったら早いのです。

 【今日の発想源実践】(実践期限:1日間)————————-
  ・自分が苦手なモノ、苦手な分野を、ノートに列挙する。
  ・そのモノ、もしくはそれに関連する本を、一度今週中に買う。
  ・買う前に、買って何を知りたいかをノートにあらかじめ書く。

発想源

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 【第2280回】 要望と責任
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 以前読んだ本の内容からのお話。

 東京の自動車会社で設計の仕事に携わっていた牧尾英二氏は、
 地元の鹿児島県阿久根市で自動車教習所を経営している弟たちから
 「自動車学校だけではなく、他に何か良い商売はないか」
 という相談を受けた。

 1980年の当時、牧尾氏が暮らしていた関東では、
 ホームセンターがあちこちにオープンして話題となっていたため、
 ホームセンターをやってみたらどうかと提案した。

 そしてオープンした2年後の1982年、その経営が行き詰まり、
 父親から「言い出したおまえが責任を取れ」と言われたため、
 牧尾氏は自動車会社を退職して、阿久根市に帰郷した。


 牧尾氏は自動車の技術者として歩んできた人間であり、
 専門外である小売業はそれほど好きというわけでもなかった。

 そのため「小売業は自分の天職である」と、心に決めた。

 天職ならば、「損得」よりも「善悪」を主体に取り組む必要がある。
 
 小売業が天職ならば、自分の損得や欲は脇に置いて、
 「地域のために小売業で指名を果たせ」ということになる。 

 そこで「地域の人たちに一番喜んでもらえる理想の小売業」
 とは何か、ということを徹底的に考えることにした。

 当時、都市部では24時間のコンビニエンスストアが登場していたが、
 田舎である阿久根市には24時間営業の店はもちろん、
 深夜営業の店もなく、ほとんどの店が夕方6時頃に閉店する。

 そんな阿久根市で、お客様にとって理想の小売店とは何か。


 お客様が買い物をしたい時にいつでも買い物をできるように
 するならば、店舗は年中無休の24時間営業であるべきではないか。

 あちこちで買い回りをしなければならなかった生活必需品が
 一ヵ所ですべて揃うワンストップの店舗が、お客様のためではないか。

 お客様にとって便利である理想の店を考えた結果、
 牧尾氏は1万1650平方メートルの売り場面積を持つ
 年中無休の24時間営業の大型店を出店する決意をした。


 ところが、当時は大型店の出店には厳しい制約があり、
 この規模で24時間営業の許可が、九州通産局からなかなか下りない。

 まず、売り場面積が1万平方メートル以上であれば
 商圏人口が30万人ぐらいは必要だが、
 阿久根市の人口は2万7000人で、明らかに絶対人口が足りない。
 完全に阿久根商圏の飽和状態の売り場面積を超えている。

 その指摘に対して、牧尾氏は、

 「その店舗規模に商圏30万人が必要という考えは、
  従来の流通業界の常識にとらわれた結論に過ぎない。
  商圏人口は3万人でも構わない。何度も来店してもらえればいい。
  それに、阿久根市は他市町村へ買い物客が流れている。
  品揃えが不十分な従来の市内の店を寄せ集めた数字で
  売り場面積が飽和状態だというのはおかしい」

 と通産局を説得。行政との交渉は、なんと11年にも及んだ。

 1996年5月、ようやく出店許可が下りた。

 24時間営業の大型店は、今まで震災後の神戸のダイエーが
 期限付きで認められただけで、実質的にはこの店が日本初となる。

 ところが、商圏の小さな阿久根市での開店にリスクを感じた
 地元の取引銀行が、直前になって融資を辞退した。

 経済界の経営コンサルタントたちの間で、
 「あの店の事業は必ず失敗する」という風評が立っていたのである。

 さらに、従業員を募集しても、絶対にこの店は失敗するからと、
 小売業の経験者は全く来てくれない。
 近隣の主婦や地元の新卒など未経験者ばかりで始めなければならない。

 また、大型商業施設ではテナントの誘致が一般的だが、
 テナントは団子屋さん、ゲームセンター、たこ焼き屋さんだけしか
 集まらず、ほとんどの売り場を直営で運営するしかない。


 まさに綱渡り状態での開店準備となったが、牧尾氏は、

 「正しきによりて滅ぶるものあらば滅びてもよし、断じて滅びず」

 という小業界で学んだ言葉を心の支えにした。

 地域の生活者のお手伝いをしたいという思いから
 自分のことは捨てて必死でやって来たのだから、
 必ず天が味方してくれる、と心から信じた。

 当初の取引銀行が融資を辞退し、他の銀行も融資をしてくれない、
 という状態の時に、野村證券鹿児島支店の支店長だけが、
 牧尾社長の想いに熱心に耳を傾けてくれた。

 「あなたの話を聞いていると、
  運輸省や郵政省の規制と戦い、誰もがうまくいくはずがないと
  考えていた宅急便を成功させたヤマト運輸が思い浮かびます。
  24時間営業の大型店はきっと成功しますよ」

 と、投資してくれるベンチャーキャピタルを紹介してくれた。
 まさに九死に一生を得て、オープンにこぎつけた。


 そして1997年3月26日、ついに日本初の24時間大型店
 「A-Zスーパーセンター」が阿久根市内にオープンした。

 「AからZまでどんな商品でも全て揃う」
 という意味を込めて「A-Z」という店名が名づけられた。

 人口わずか2万人程度の商圏しかない阿久根市に
 商品点数23万点、敷地面積東京ドーム3.6個分という
 広大な24時間営業の巨大スーパーマーケット。
 従業員はほとんどが地元採用の小売業未経験者ばかり。

 「開店できたとしても長続きしない。必ず失敗する」
 「あいつは頭がおかしい。誰か止めないとかわいそうだ」
 と、周囲では開店前から大変な噂が立っていた。


 しかし、開店から10年以上が建った現在、
 阿久根のA-Zは年間650万人のお客様が来店し、
 年商が100億円を突破し、不況の今も売上は伸び続けている。

 2005年には人口1万4000千人の鹿児島県川辺町に
 2号店の「A-Zかわなべ」を開店し、年商は65億円を突破。
 さらに2009年には隼人町に3号店の「A-Zはやと」とオープン。
 1号店の2.8倍の売場面積で年間来客数は1,000万人を超える。

 当初の様々な批判や批評を覆す勢いを見せ、注目を集める。

 経済成長期から続く業界の常識や前例を全て否定して、
 生活者を常に優先して考え、
 一から小売業の枠組みを立て直そうと考え、
 お客様の要望に従って商品点数を増やしてきた「A-Zあくね」。

 その売上や利益といった数字を追いかけない経営が、
 A-Zの根底のスタイルである。

 小売業は営利企業ではあるが、そこからもう一歩踏み込んで、
 地域の皆さんの生活に何か寄与するという発想を持てば、
 結果として利益は返ってくる、
 と牧野英二氏は述べている。

優秀な人こそ忘れがちな10のシンプルな真実
賢明な人たちでも時に単純な現実を忘れてしまうことで行き詰ってしまうことがあります。そんな人生における前進の可能性を左右する10項目の事実が紹介されていました。超訳です。

1.高い学歴と知能を持っていても行動なしでは何も得られない
やり方を知っているのと実際にやってみるのでは大きな違いがあります。

2.幸福と成功は同義ではない
私の知る中で最も成功した人のうちの一人は、昨年、ビジネスでミリオンダラーを手にしましたが、数日前、私に対して「疲れた。寂しい。自分の時間がない。」とこぼしました。一方、近所の浜辺でほぼ毎日サーフィンをしてる人は、観光客相手に物乞いをしていますが、いつもニコニコしています。

3.誰もが自分のビジネスを持っている
サラリーマンであれば、自分の存在の一部を雇用主に売っているのです。自分の時間を確保しながら収入を増やすことを追求しましょう。

4.多過ぎる選択肢は意思決定を妨げる
全ての可能な選択肢を細かく評価するのは止めましょう。まずは良いと信じるものを選んでやってみるべきです。それが上手くいかないときに、また他のものを選べばいいのです。

5.誰もが成功と失敗の両側面を持っている
完璧は幻想であり、目指すのは時間とエネルギーの無駄です。誰もが公的に宣伝している洗練されたストーリーの裏に、公言していない沢山の失敗を抱えています。

6.あらゆるミスは進歩につながっている
間違うごとに目的に近づきます。致命的な唯一つのミスは、ミスを犯すのが怖いからという理由で何もしないことです。

7.嫌いなことでも得意になれる
十分な時間と集中力を注ぎ込めば可能です。

8.誰かの問題はたいてい自分の問題
過去の問題よりも、未来の展開を考えましょう。

9.感情的な決定が良い決定であることはまれ
感情を知性に優先させてはいけません。落ち着いて良く考えましょう。

10.チャンス到来時に、100%準備ができていることはない
人生における大きな好機の多くは、私たちが心地良く感じる範囲を広げます。つまり、最初は全く気分の良いものではないということです。気持ちが良くないので、用意ができているとは思えないのです。人生におけるポジティブな変化を求めているなら、たとえ100%の覚悟ができていないとしても、そうしたチャンスの時を受け入れなければなりません。

「うさぎと亀」の話は,「何を見ていたか」を教えている。うさぎは亀を見ていた。亀は目標を見ていた。どんな状況のときでも競争相手を見るのではなくしっかりと目標を見据えていきたい。

 仕事において、行動の判断に困ることはよくあります。

 続けるほうがいいのか、やめたほうがいいのか。
 こちらを取るほうがいいのか、あちらを取るべきなのか。

 ビジネスとは、そういう判断の繰り返しです。

 正しい判断をする時もあれば、誤った判断をする時もある。

 そんな正誤を繰り返していって、
 最終的に見れば全部ひっくりめて正しかった、
 ということになればいいのです。

 ただ、その判断をいつも悩んで悩んで、
 胃が痛くて時間ばっかりかかって困っている、
 という人のためのヒントを書きます。

 これ、ふざけているように見えて、
 意外になかなかいい判断基準になります。


 それは、

 「自分がカッコイイと思うほうを選ぶ」

 ということです。

 当たり前のように見えて、実は違います。

 カッコイイかどうかで判断する人は多いのですが、
 そのほとんどの人は、行動の判断をする時に、

 「他人がカッコイイと思ってくれるかどうか」
 「周囲の人がカッコイイと言ってくれるかどうか」

 と、「他人がカッコイイと思う」を基準にしています。

 「これは、カッコよく思われそうだから取り入れよう」とか、
 「これは、カッコ悪いと思われて恥ずかしいからやめよう」とか
 他の人のカッコイイという思いで、判断してしまうのです。

 例えば、自分は全く異性との恋愛経験がなかったとして、

 「こんな年にもなって、付き合った経験がないなんてカッコ悪い」

 と思う人は、
 「他人がカッコ悪いと言うだろう」という判断です。

 でも、他人が何と言おうが、

 「恋愛経験がないことが恥ずかしいなんて思うほうがカッコ悪い。
  むしろ本当の意中の人にめぐり合うまで仕事ひとすじって、
  なんてカッコイイ俺」

 と「自分がカッコイイと思う」ことを基準にしていたら、
 別に慌てて異性を探さなくてもいいや、と気が楽になります。
 その分、仕事や趣味に時間を集中すればいいわけです。

 「自分はずっと商品の陳列ばかりを担当していてカッコ悪い」

 と思っている商品管理担当は、
 「こんな仕事は、他人はカッコイイとは思ってくれない」
 という判断で考えています。

 でも、他人が何と言おうが、

 「商品の陳列という仕事がなければ、商売は成り立たない。
  この店の商品をどう並べたらどう売れるかを全部知り尽くそうと
  年末年始も真剣に取り組んでいるなんて、なんてカッコイイ俺」

 と「自分がカッコイイと思う」ことを基準にしていたら、
 何だったら全店一、いや業界一まで極めてみせようか、
 という気力が湧いてきます。

 だいたい習い事が続かないなんていう人は、
 「他の人は別の楽しいことやっているのに」とか、
 「こんなことやっても何の意味があるんだと言われそう」とか、
 他人からの見た目や評価ばかり気にしています。

 でも、習い事でも何でも継続できるという人は、
 他の人の視線などかまっていないから継続できるのです。

 「他の人がやらないようなこれを打ち込んでいる自分、
  カッコイイよな」

 とか、

 「こんなことに一生懸命になっている私、けっこうスキかも」

 とか、
 他の人はどう思っても自分はカッコイイと思う、
 自分はステキだと思う、と思っているから打ち込めるのです。

 カッコイイとかステキとかいう感情を選択基準にすると、
 一見不純な感じがしますが、そうではありません。

 きちっと、軸が作れるのです。


 「苦難の道を行く俺が、カッコイイんだ」と思う人は、
 普通の人が選ばない複雑なほうばかりを選びます。

 だから、成功します。

 「何でも効率のジャッジができる俺が、カッコイイんだ」と思う人は、
 いつも必ずスマートで効率的なほうばかりを選びます。

 だから、成功します。


 成功しないのは、軸が中途半端で決まっておらず、
 「今回はお金がないから安いほうで」とか、
 「今回は気分的にこっちかな」とか、毎回ぶれた判断をする人です。

 一貫した成果が出ないから、最終的に何の蓄積もできないのです。


 「自分がカッコイイと思う」「自分がステキだと思う」
 「自分がカワイイと思う」と、
 自分で自分を感じる判断基準に全て決めてしまう、というのは、
 中途半端ではない軸を作るのに有効なのです。


 自分が自分をカッコイイと思うこと、
 自分が自分をステキと思うこと、
 自分が自分をカワイイと思うことは、どんなことですか?

 【今日の発想源実践】(実践期限:1日間)————————-
  ・男性は「自分が自分自身をカッコイイと思うこと」を、
   女性は「自分が自分自身をステキだと思うこと」を、
   100文字以内の一文でノートにまとめる。
  ・それに反する判断をしてしまった時のペナルティを決める。

発想源【第2225回】 自分がカッコイイと思うこと

100. 後悔しない

後悔したところで、現実を受け入れることはできません。今、そのためになにができますか?それは過去の事、もう取り返せないものです。振り返るのではなく、どう変えていけるかに焦点を当てましょう。昨日でも、明日でもなく、あなたは今この瞬間を生きているのですから。

67. 思いついたままに行動する

行動する事を恐れていては何も解決しません。考えすぎると、あなたを余計に混乱させます。流れに身を任せ、自分の思いつきのままに行動してみるのもよいでしょう。無意識の行動によって、本当の自分に驚かされます。